特別なことよりも当たり前のことの中で

 

普段恋愛小説はあまり好んで読みませんが、知人に薦められて読んだ『レモン・インセスト』という小説は結構お気に入りです。

 

その本の中で、ああなるほどなぁと感じられる心理描写がありまして、、、

 

『(…)何かを贈られるごとに、牟田に向けた気持ちが醒めていくようでもあった。贈られたものが高価なものであればあるほど、自分が安っぽく扱われている、と感じることもあった。』

(『レモン・インセスト』より引用)

*一応説明しておくと、牟田というキャラクターは主人公と愛人関係にある人物です。

 

そもそもそんなに高価な贈りものを異性からもらったことないので、全くおんなじ土俵で語ることはできませんが、、、笑

この主人公の言いたいことは伝わってくるというか、きっと私も同じ気持ちになるだろうなぁと思います。プレゼントをもらうことはもちろんありがたいことですが、「この人とは『愛』に対する価値観がだいぶ違っているなあ」とこの主人公(と私)は思うのでしょうね、、、もちろん個人の価値観の問題であって、牟田さんが間違っていると言っているわけではないです。

まあ、言葉を選ばずに言ってしまうと「いいものを与えておけばとりあえずいいだろう」感に、一種の浅はかさと虚しさを覚えると言ったところでしょう、、、すみません偉そうに、、、笑

 

 

ちょっと話は変わりますが、これまでの人生を振り返って、最も「これは愛だった」と感じる場面って、例えば

学校に行こうとしたら、当たり前のようにランドセルがあって、当たり前のように鉛筆などの筆記用具や教科書があって、当たり前のように着ていく洋服があって、当たり前のようにあったかい朝ごはんが出てくる。

そして、当たり前のように「いってらっしゃい」が聞こえてくる。

と、こういうようなことだったように思います。というか、今大人になってやっと分かった気がします、、、(なぜか誰かと交際するようになってから実感するようになったんですが。笑)

 

つまり何が言いたいかというと、プレゼントをもらうとか、そういう『特別』の中によりも、その人が自分のために『当たり前』に何かをやってくれていることの中にの方が、愛が存在していると思うわけです。だってその方がよっぽど大変ですよ。当たり前のことには受け手はなかなか気付きにくいですから。そういう見返りを求めない、無償の愛だけが本物の愛だと思ってしまうのは贅沢なのかなあ、、、とほほ

 

『「(…)具合を悪くして寝ていた僕は、こうやって手を握られながら、どんなに安心したかわからない。お母さん、ああ、僕はあの人のこと、そう呼んでたんだ……お母さん、って僕が甘えて口にするとさ、すぐ近くからあの人の声が返ってくる。なあに、ってね。お母さん、ってまた僕は言う。また、あの人がなあに、って言う。その繰り返し。永遠に終わらない。」』

(同書より引用)