分からないと思っている人ほど、実は分かっている

 

高校の授業の中では倫理が好きだったんですが、習ったものの中で、実生活で特に痛感するのが『無知の知』です。

 

無知の知』とは真の知に至る出発点は無知を自覚することにある、とするソクラテスの考え方(とされている)。

つまり、自分は全然知らない、ということを知っていることの大切さですね。

 

なんか固っ苦しい感じがしますけど、これって結構言えてるなあと思います。

 

例えば、相手の気持ちなんかを考えるときに、「自分はAさんの考えていることをよくわかっている」と思っている人よりも、「自分はAさん考えていること、全然分からないなあ」と思っている人の方が、実は分かっているのではないでしょうか。

「全然わからないなあ」と思っているからこそ、考えることを続けますよね。だから、そういう人の方が案外、人のことを理解している(100%っていうのはちょっとありえないけど)というのが実際のところなのかもしれませんね、、、

 

ーー『人間は誰でも、独りで生きなければならないのと同時に、みんなと生きなければならない。私は「みんなと生きる」ということが良くわからない。みんなが何を考えているのかを考えながら人と接しよう』ーー

( 高野悦子二十歳の原点』より )

 

 

(めっちゃ余談ですが、ちょっと前に見た女性誌かなんかのインタビューで、とある男性タレントさんが、女心について聞かれていて『どうすれば悲しまないかはある程度わかっているつもりだけど、どうすれば喜ぶかはわからない』と答えていましたが、これはこの質問における120%の回答なのでは、、、と感心しました。笑)