大森靖子さんの『さっちゃんのセクシーカレー』を聴いて泣いた話

 

みなさんは音楽を聴いて涙することってありますか?

 

タイトルにもありますが、私は最近『さっちゃんのセクシーカレー』という曲を聴いて思わず涙してしまいました。

 

私自身、音楽にはあまり詳しくなくて、本当につい最近『ミッドナイト清純異性交遊』をたまたまYouTubeで聴いたことがきっかけで大森靖子さんを知りました。(結構有名な方なんですよね?)初めて曲を聞いた時の衝撃がすごかったです。

全体的に、いわゆるメンヘラ系の歌詞なんですが、それを上手いこと音楽的な要素で調和してるのがすごい。ざっと聴いてみた感じ、受け付ける曲と私には過激すぎる、、、ってなった曲とがあったのは確かだけど、その辺は人それぞれかも。

 

それで本題の『さっちゃんのセクシーカレー』なんですが、歌詞の内容を勝手な解釈で読みとると、

小さい頃仲良しだった女の子が成長し都会に行って、だんだんと変わっていくのを切なく思いながらも、ただ遠くから見ていることしかできない男の子の歌

と言ったかんじかな?私はシンプルにそう解釈しました。

 

銀色のナイフで 春を切り刻んで
今日はどんな味の 退屈を食べたの
こんな田舎で ぼくより強いひとに
はじめて会って 嬉しかったよ

 

おんなじおもちゃ 別々にあそんだ
経験値稼ぎ レベル上げの毎日
ぼくにしかできない必殺技もできた
でも まだ 戦えないよ

(中略)

成長しないで さっちゃん
茶髪にしないで さっちゃん
彼氏つくらないで さっちゃん
最強でいてよ 僕の特別

 

さちこなんて名前 幸せになれるの?
今日はどんな服で 自分を壊すの?
東京で髪の長い男とばっか
つるんでいるの しってるよ

(以外略)

 

『僕』にとって唯一無二で『最強』だったさっちゃんが、だんだんその他の女の子とおんなじになっていってしまう。『髪の長い男とばっかつるんで』、そんな男に依存するような、そして彼らに気に入られるように茶髪にしたり着飾ったりして『自分を壊す』ような『最強』ではないさっちゃんになっていってしまう。普通になっていってしまう。でも僕はどうすることもできないし、何か言う権利もない。

 

自分ではない誰かに対して、こう変わってほしいだとか、こういう風に考えてほしいだとか望むことってこの上なく傲慢なことだと思うんです。(そういった場合、他人を変えようとするのではなく、自分を改めるべきであるから。)

だけど、変わらないでほしい、とはどうしても思ってしまうものじゃないですか?純粋なものや、キレイなものや、好きなものであるならなおさら、、、

しかし、そのままでいてと願うこともまた同じく傲慢なことなのかもしれませんね。

 

何かを得られないことよりも、何かが失われてゆくということの方がやるせなく、切ない思いにかられるなあ、と思わず自分の人生に重ねてしんみりしてしまいました、、、