『愛されるための努力』←なんじゃそりゃ

 

前の記事で愛について考えたので、それ関連でもう一ついいですかね。笑

 

よくLINEのトークの上の方に『愛される女の子がやっている5つのこと♡』みたいな特集記事(?)が表示されることありませんか?しかもオススメ記事として表示されてると思うと複雑な気持ちになるんですけど、、、笑

まあ、一体どんなことが書いてあるんだ?!?!って気になってついつい開いちゃうんですけどね!(思うツボすぎる)

で、案の定大したことは書いてなくて、なーんだやっぱりね!と謎の安心感を感じるという。笑

 

あとあれ!YouTubeの広告でよくある、『極太大根足だった私が、彼の愛を取り戻すためにモデル並みの美脚を手に入れた!その方法とは?』みたいなやつ。こんなん文字打ってて笑ってしまうわ。笑

こっちは明らかに胡散臭くて怪しすぎますよね。私はそんな美脚よりも一刻も早くレト○トさんのゲーム実況が見たいんじゃ!!!!!はよ!!!!!!(スキップ)

 

うーーーーーーん、いやわかるんですけど!気持ちはわかるけど、でもさそもそも、

 

愛って努力して手に入れるものじゃなくないですか?

 

もっと言うと、例えばさっき触れたLINEの特集記事通りに自分の性格を取り繕ったり、服装や化粧等の身だしなみを合わせたりして得たものって愛なんですかね?なんか違うかなーって思ってしまうんですよね〜_(┐「ε:)_

 

そんな愛だったら私はちょっといらないかも〜。その努力ずっと続けるのはめんどいというのもあるけどさ。笑

 

(プレイヤーが攻略対象を分析し、彼が望む選択肢を選ぶという努力、、、そういうのは乙女ゲームだったらいいんだけどね!!!!!!!!!!)

 

特別なことよりも当たり前のことの中で

 

普段恋愛小説はあまり好んで読みませんが、知人に薦められて読んだ『レモン・インセスト』という小説は結構お気に入りです。

 

その本の中で、ああなるほどなぁと感じられる心理描写がありまして、、、

 

『(…)何かを贈られるごとに、牟田に向けた気持ちが醒めていくようでもあった。贈られたものが高価なものであればあるほど、自分が安っぽく扱われている、と感じることもあった。』

(『レモン・インセスト』より引用)

*一応説明しておくと、牟田というキャラクターは主人公と愛人関係にある人物です。

 

そもそもそんなに高価な贈りものを異性からもらったことないので、全くおんなじ土俵で語ることはできませんが、、、笑

この主人公の言いたいことは伝わってくるというか、きっと私も同じ気持ちになるだろうなぁと思います。プレゼントをもらうことはもちろんありがたいことですが、「この人とは『愛』に対する価値観がだいぶ違っているなあ」とこの主人公(と私)は思うのでしょうね、、、もちろん個人の価値観の問題であって、牟田さんが間違っていると言っているわけではないです。

まあ、言葉を選ばずに言ってしまうと「いいものを与えておけばとりあえずいいだろう」感に、一種の浅はかさと虚しさを覚えると言ったところでしょう、、、すみません偉そうに、、、笑

 

 

ちょっと話は変わりますが、これまでの人生を振り返って、最も「これは愛だった」と感じる場面って、例えば

学校に行こうとしたら、当たり前のようにランドセルがあって、当たり前のように鉛筆などの筆記用具や教科書があって、当たり前のように着ていく洋服があって、当たり前のようにあったかい朝ごはんが出てくる。

そして、当たり前のように「いってらっしゃい」が聞こえてくる。

と、こういうようなことだったように思います。というか、今大人になってやっと分かった気がします、、、(なぜか誰かと交際するようになってから実感するようになったんですが。笑)

 

つまり何が言いたいかというと、プレゼントをもらうとか、そういう『特別』の中によりも、その人が自分のために『当たり前』に何かをやってくれていることの中にの方が、愛が存在していると思うわけです。だってその方がよっぽど大変ですよ。当たり前のことには受け手はなかなか気付きにくいですから。そういう見返りを求めない、無償の愛だけが本物の愛だと思ってしまうのは贅沢なのかなあ、、、とほほ

 

『「(…)具合を悪くして寝ていた僕は、こうやって手を握られながら、どんなに安心したかわからない。お母さん、ああ、僕はあの人のこと、そう呼んでたんだ……お母さん、って僕が甘えて口にするとさ、すぐ近くからあの人の声が返ってくる。なあに、ってね。お母さん、ってまた僕は言う。また、あの人がなあに、って言う。その繰り返し。永遠に終わらない。」』

(同書より引用)

 

 

分からないと思っている人ほど、実は分かっている

 

高校の授業の中では倫理が好きだったんですが、習ったものの中で、実生活で特に痛感するのが『無知の知』です。

 

無知の知』とは真の知に至る出発点は無知を自覚することにある、とするソクラテスの考え方(とされている)。

つまり、自分は全然知らない、ということを知っていることの大切さですね。

 

なんか固っ苦しい感じがしますけど、これって結構言えてるなあと思います。

 

例えば、相手の気持ちなんかを考えるときに、「自分はAさんの考えていることをよくわかっている」と思っている人よりも、「自分はAさん考えていること、全然分からないなあ」と思っている人の方が、実は分かっているのではないでしょうか。

「全然わからないなあ」と思っているからこそ、考えることを続けますよね。だから、そういう人の方が案外、人のことを理解している(100%っていうのはちょっとありえないけど)というのが実際のところなのかもしれませんね、、、

 

ーー『人間は誰でも、独りで生きなければならないのと同時に、みんなと生きなければならない。私は「みんなと生きる」ということが良くわからない。みんなが何を考えているのかを考えながら人と接しよう』ーー

( 高野悦子二十歳の原点』より )

 

 

(めっちゃ余談ですが、ちょっと前に見た女性誌かなんかのインタビューで、とある男性タレントさんが、女心について聞かれていて『どうすれば悲しまないかはある程度わかっているつもりだけど、どうすれば喜ぶかはわからない』と答えていましたが、これはこの質問における120%の回答なのでは、、、と感心しました。笑)

 

 

この人と同じ時代に生まれてくることができて本当によかった

 

 

そういえば最近、元カレが結婚していたことを知ってめちゃくちゃ衝撃を受けました。笑

 

(とはいえ未練が全くなかったので、悲しくはなかったんですが、、、

何が衝撃だったかって『元カレが結婚したことを知る』という現象が身に降りかかるような歳になってしまったことですよ!!!笑)

 

そんなこともあってか、将来のことをぼんやりながら考える時間が増えたような気がします。私、結婚するのかなーとかね

 

でも、私は無理に相手を探して結婚するくらいなら、独身でいた方がいいかなって思います。人によっては探して恋した相手と上手くやっていける人もいるとは思うんですが、私の場合、それだと結局離婚しちゃいそうだなって、、、なんとなーくですけどわかるんです。あくまで私の場合ね!

 

 

そう思ってしまう理由と直接関係あるかはわかりませんが、私たちってなんだか難しい時代に生まれてきてしまったなって思いませんか?言葉で表すなら、

『たくさんのもので溢れていてとっても便利で不自由ないけど、だからといって心まで豊かになるわけではない、ということが証明されてしまった時代』

ってかんじがします、、、

まあ、平たく言えば『生きづらい世の中』ってやつですよね

 

でも、そんな時代だとしても、それでもこの時代に生まれてきて良かったって思わせてくれるような人がいたなら、そんな人と結婚できたらなあとは思います。

『この人と同じ時代に生まれてくることができて本当によかった』

なんて気持ちになってみたいものです、、、

恋を「する」んじゃなくて、不可抗力で恋に落ちたい、、、ポエマーか、、、笑

 

 

 

道明寺よりも花沢類を選ぶ女子小学生たち

 

前の記事で少女マンガについて書いたので、それ関連でもう一つ語りたいと思います。笑

 

少女マンガのよくあるパターンに、ツンデレ俺様キャラとおっとり王子様キャラが出てきて2人に奪われ合うみたいなのがあるますよね。で、大抵主人公はツンデレ俺様に惹かれてゆくという、、、

 

花より男子』とかまさにそれですね。私はマンガじゃなくてドラマの方を見てました。周りの子たちもみんな見ていたドラマの一つです。

放映当時私は小学生でしたが、周りの子たちも私自身も声を揃えて

 

『なぜ花沢類を選ばない!?!』

 

と、教室で叫んでいた記憶があります。笑

 

(いや、もちろん道明寺もとっても素敵なキャラクターだと思います!けど、それはあくまでフィクションのお話の中でだけですよね。現実にいたらなかなかのヤバイやつですよ、、、)

 

そんなことを今思い返すと、女の子ってすごいですよね。だってそんなに小さな頃から、どっちの男の子を選べば幸せになれそうかわかっているってことですよ。同年代の男の子たちが公園で秘密基地作ってる間に、一体どこで学ぶんですかね、、、

女の子は子どもの頃から女性なのだと、しみじみ考えてしまいました。笑

 

 

少女マンガを読めなくなった

 

突然ですが、私、もう少女マンガが読めません。笑

 

少女マンガと言ってもいろんな種類があると思いますが、ここで言っているのはアレです、好きな人に好きな子がいたり、好きな人の親友に告白されたりする類のやつです。○トロボ・エッジとかもう読めない、、、笑

 

いや、すごく素敵だなーとは思うんですが、なんて言うかもう、心の震えについていけなくなってしまったんですよね。わかります?!笑

あまりにも感情を強く揺さぶられると疲れちゃうし。(とは言え小説や恋愛以外の感動ものは読めるので、それが理由とは言えませんが)

 

そして、失ってしまったものを突きつけられるような気持ちになるんですよ、、、つらい、、、

 

10代の頃、成長して大人になればどんどん新しいもの・持っていないものを手にできると思っていたんですが、実際大人になってみると、失われていくものの方が多いように感じられて、なんだか切なくなってしまいます。笑

 

 

読書感想『世界の果てのこどもたち』

 

昔から歴史があんまり得意じゃなくて、テスト前になるととりあえず範囲のところの教科書を丸暗記して凌いでいました。笑

なんで苦手かって、歴史の教科書の、あの淡々と事実だけが述べられていくかんじが受け付けないというか、本当にあったことのはずなのに現実味がない気がして覚えられないんですよね。(言い訳です)

 

『世界の果てのこどもたち』は戦争によって激動の人生を歩むこととなった3人の少女のお話ですが、戦争について知りたいというよりは、この本の著者である中脇初枝さんの他の作品が素晴らしかったので読んでみようと思い、図書館で手に取りました。(他の作品についても別の記事で書けたらなと思っています。)

 

満洲のお寺の中で、大雨のせいで帰れなくなってしまった少女3人が、そのうちの一人が持っていた一つのおにぎりを分け合うシーンがこの物語の大きな軸となります。

『いくらみじめで不幸な目に遭ってもね、享けた優しさがあれば、それをおぼえていれば、その優しさを頼りに生きていけるのね。それでその優しさを人に贈ることもできる。ーーー』

 

https://books.rakuten.co.jp/rb/15488607/?istCompanyId=304a234b-c871-4407-99f0-29afe4f462b7&istFeedId=7c420678-b6a6-42af-8fee-b75d0e7cf387&istItemId=wlqwaaqla&istBid=t&scid=we_lnk_ad_book_non_pla&gclid=EAIaIQobChMImPH0_8jp5gIVxamWCh1FvAMvEAoYAiABEgLyi_D_BwE

 

満洲開拓団とか、中国残留孤児とか、言葉自体は聞いたことあったし、恐らく教科書にも載っていたんだけど、そんな教科書なんかではわからないことが『世界の果てのこどもたち』を読んで、少しだけど知ることができた気がします。教科書では三行くらいで済まされていることの中には、実際に人々の生活があったしその時代を生きた人それぞれの壮絶な人生があったのですね。初めて歴史の中に現実味を感じることができました。